私の退職金をアテにしている

その話とは、母親が、このままでは前途が不安だからこの際利子で生活できるようにまとまったカネを手にしたい、と言い出したというのである。これには二つ前提がある。

私の祖母、つまり母親の母親は、祖父の死後五〇年近くも生きたが、農地解放後はまず屋敷林の杉を売り、次に茶室や離れを売り、母屋の欄間や襖を売り、庭の石灯箭を売り、土蔵を売り、要するに形あるものすべてを片端から売り飛ばして暮らしてきた。

そして最後に残った家、正確には住んでいない部分に手入れをかっていた庭の竹の地下茎が延びてきて竹が床下から座敷の天井を突き破る状態になっていた家を壊した後の宅地を、町に工場がある大企業の不動産部門の手で分譲してもらおうとした。

祖父は戦前に死んでおり、長男である伯父がすべてを相続したが彼も早死にしている。土地は、当然ながら所有者である伯父の未亡人とその子が承諾しなければ処分できない。祖母は当初、上地代金を手元に置いてその利子で生活するつもりだったが、そうムシがよく運ぶはずもなく、結局毎月の仕送り、それも現に私か親たちにしている金額の半分ほどの仕送りをすることでようやく決着した。その話が母親のアタマにあったのが一つ。

もう一つ、そのころ私は九年間のラジオに続けて八年半務めたテレビのニュース・キャスターを卒業した。母親はこのときに退職金が出たものと考え、いまならまとまったカネを引き出せる、と皮算用したらしい。

いうまでもなく、一クール一三週の契約を自動延長していくテレビの出演者に退職金などというものはない。私か出ていたフジテレビはこのとき家内や息子も呼んでサヨナラ・パーティを開いてくれ、席上ギャラ三か月分ほどの功労金をくれたが、これはあくまで先方の好意であって、要求する筋合いのものではない。それに、功労金は少ないカネではないがまとまったカネというほどでもない。当然ながら、親たちにその一部をやらなければならない道理などどこにもない。

私に退職金が入る。うまくすればそれを引き出せる。そうすれば利子で暮らせる。これはすべて母親の妄想である。カネのことで半狂乱になった、ということ自体、この妄想を実現するために手先として上の妹を使うための、母親の演技だったろう。父親とシナリオを共作したのか、独り芝居だったのか、そこはわからないが、上の妹はまんまと母親の術中にはまったのである。

もっとも、上の妹が大根役者もいいところだったために、母親のシナリオはたちまち瓦解した。とはいえ仕送りの定期化のメドはつけたのだから、母親としては最低限の目標は達成して腹の中で舌を出していたのかもしれない。

これには後日談がある。その後彼らは、私に対して、仕送りでやっとこれだけ貯金できたと、三〇〇万円とか七〇〇万円とかの入った預金通帳を、時折わざとらしく見せるようになった。これが一切合財、すべてだというのだが、もちろんちゃんと別にもあって、見せる趣旨は、これだけでは不安だからもっと寄越せ、ということである。

株をやっているらしく、その証拠に、テレビが株式ニュースの時間になると、老夫婦揃って老眼鏡をかけて見入る。仕送りを受けながら株をいじるのは、生活保護を受けながら競艇に通うようなもんだ、とやかましくいって、バブルの頂点の時期にすべてを売って手仕舞いさせたからよかったが、欲をかいていれば吠え面をさらすことになったに違いない。