創業時の仲間から訴えられる

移動体通信へと大きく経営のカジを切る過程で、久保田正有との訴訟沙汰が起きる。九六年一月三十一日、光通信は代理店の光テック、電創の二社から「電話加入手続きの手数料の未払い分、五億四千八百万円の支払いを求める」裁判を起こされた。その直後の二月十五日、光テックの代表取締役の久保田から「増資手続きを巡って八億八千四百万円の損害賠償訴訟」を提起されている。前述のように久保田は巣鴨高校の同級生で、光通信の創業の仲間。元株主であり、元取締役でもあった。手数料の未払いの訴訟は九九年十一月、原告の敗訴が確定したが、損害賠償の方は現在も係争中である。

この事件は重田の事業観・人間観を知る上での生きた教材だ。過去を切り捨てることによって、その後の快進撃を可能にした、という意味で重要なのだ。当時の仕事の流れを簡単に説明しておこう。光通信はDDIと業務委託契約を結び一次代理店となっていた。一次代理店の下に二次代理店があり、実際に営業活動を行うのは二次代理店だ。二次代理店がユーザーから市外電話サービスの加入申し込みを受けると、その申込書を光通信に送る。光通信は書類審査してDDIに送り、DDI専用のアダプターの設置工事をする。DDIは電話回線が通じているかどうかを確認し、大丈夫ならこの時点で加入契約は完了する。

光通信に入るのは手数料だ。ユーザーとキャリア(第一種電気通信事業者)の契約が成立した際に、光通信には「受付コミッション」が入ってくる。さらに、キャリアからは通話料金に応じて一定期間、「ストックコミッション」(「変動コミッション」と呼んでいたが九九年八月期に現在の呼称に変更した)が支払われる。これに対して二次代理店には、契約を取ってきた時点で、光通信から手数料が支払われる。

つまり、光通信は、加入者の獲得は二次代理店に任せ、契約が取れれば、通話料に対する一定のストックコミッションが向こう何年間かコストゼロで保証される仕組みなのだ。この仕組みこそが光通信の高収益の源泉になった。問題は、キャンセルが発生した時、どこが負担するか、だ。二次代理店が加入契約を取ってきても、契約が取り消しになったり、アダプターが設置不能だったりすることはよくある。光通信は申し込みを受けた時点で二次代理店に手数料を支払っているから、キャンセルが発生した時には、その分を後日、「調整金」の名目で、手数料と相殺する方法を取ってきた。早い話、キャンセル分は二次代理店がすべて負担する仕組みになっているのだ。

「調整金」の問題が光通信と二次代理店とのトラブルの最大の原因となった。光テックと電創の二社は二百五十社といわれる光通信の代理店の中では最大手。加入契約の八割以上を稼いでいた両社が倒産に追い込まれたのは、この「調整金」が原因だった。原告が控訴せず、裁判が一応決着したこともあって、この裁判について関係者は一様に口をつぐんでいる。しかし、当時の裁判資料を丹念に調べていくと「調整金」の名目で光通信が請求していた額が半端ではないことが分かってくる。光テックの場合、調整金は当初、毎月支払われる手数料の五%程度。九二年八月から二五%に跳ね上がった。その後、調整金は五〇%にエスカレートし、九四年二月には一〇〇%を突破。ある月には手数料収入百万円に対して調整金が三千万円になった。