アウトローな法律の使い方

日本の法律では、ナマの力をもって勝手に権利を行使する「権利の実現」は禁じられています。これを我々法律家は「自力救済の禁止」と呼びます。もしそれをやってしまうと窃盗罪とか、暴行罪とか、住居侵入罪とか、ケースバイケースでいろいろな犯罪が成立することになりかねません。

従って「まともな人」は、そういうことはなかなかできないことになっているわけです。「まともな人はどうしたらいいのか?」といえば、まさに「正しい手続」を踏まなければならないわけで、その正式な手続が「裁判」というものなのです。この手続がうまくいかないと「本当は権利がある」とか「法律によるとこういうことになっている」とか主張しても、あまり意味がありません。

実際のところ日本では、せっかく立派に見えるような法律とか、さまざまな権利とかがあるはずでありながら、それがあまり役に立たないというのは、実はこの「手続」の欠陥に大きな原因があるのです。そして意外に思われるかもしれませんが、法律を作るような人たちも含めて、手続に関する意識やセンスについて、日本人はとても甘いということがあるのです。

では「まともでない人々」には?「まともな人」のためには、しっかりとした正しい手続が法律で決められていますが、そういう手続とは全く無縁のアウトローな人たちもいます。言ってみれば「まともでない人たち」で、要するに暴力などによって自分たちの欲望なり願望を達成してしまう人たちです。彼らにいわせれば、彼らなりに「筋を通す」「落とし前をつける」ということでしょう。

こういう人たちも、自分たちに都合がいいときには法律を持ち出します。しかし本当は、正義が全体としてどうだとか、公平であるかとか、正当な権利がどうだなどということには、あまり関心がありません。ただ自分に都合がいい法律や権利だけを気まぐれに持ち出して「まともな人」が正義を実行するのをブロックしたりしますから、そういうことにはやけに関心が高いというのは説明した通りです。