重要な人物がいる

携帯電話の通話料のうち五%程度を手数料の名目で代理店に支払うストックコミッションの手法は、アメリカから導入され、DDIと光通信に限らず、一次代理店ならどこでもやっている。光通信は販売台数が多いからストックコミッションの収入もおのずと多くなる。ストックコミッション(=利益)をあげるために販売台数を増やすことが至上命題となる。光通信はタダで売っても台数を伸ばすことに全力をあげた。台数に手数料が付いてくるからできる芸当である。台数至上主義に陥る基本原因はここにあった。

業界関係者は、光通信の一時期の高収益の秘密は、業界用語で「インセンティブ」と呼ばれる販売手数料の割り増しにあるとみている。「携帯電話の定価を平均三万五千円とします。普通の商売ならば、定価通り売ればその何割かが代理店の収入になる。ところが、この業界は違うんです。三万五千円の端末を売ると、インセンティブが四万円ほど入ってくる。しかも代理店によってインセンティブに大きな開きがある。DDI系は台数インセンティブ制を取っているからです。かつてドコモを凌ぐ売り上げを誇っていたDDIはドコモ、J−フォンの後塵を拝するようになった。

そこで、両社に追いつき、追い越せとばかりに編み出された手法が台数インセンティブ制です。ある一定期間内にまとまった台数を売れば、トーンとインセンティブを上乗せするという単純明快なものです」販売手数料の上乗せほどありかたいものはない。だが、台数インセンティブ制の果実を一人占めしたのは光通信だった。モーレツ営業で、突出していたからである。朝八時に出社した『HIT SHOP』の店長が夜十時、十一時に退社した後、ノルマ達成のため店近くの個人の家を訪問するという話はゴロゴロしている。半面、過剰なノルマに耐え兼ねて退社する従業員は多い。有価証券報告書によると従業員の平均勤続年数はだったの一年。正社員が二千名以上いる会社で平均勤続年数が一年というのは光通信だけだろう。

「他の代理店が四万円ほどしかもらえないのに、台数インセンティブの恩恵を受けた光通信は五万円から六万円の手数料を取るようになった。『HIT SHOP』は、いわゆるゼロ円販売をしている店として有名でした。携帯端末をタダで配ってどうやって儲けているかというと、インセンティブのおかげなのです。定価が三万五千円として、たとえタダで売ったとしても、インセンティブが四万円なら五千円の儲けになる。五千円の儲けではかなりの台数を売らなければやっていけない。だから、店頭で一万円程度の値段をつけて売っているケースが多かったわけですね。ところが、光通信は五万から六万円のインセンティブをもらえるようになっていたから、タダで売っても一万五千円から二万円の儲けになった。ゼロ円販売がやれる素地を、営業努力をして着々と作ってきたわけです」(二次代理店の一社)

光通信は、なぜ好条件で取引できたのか。重要な人物がいる。DDI前社長の日沖昭(五八)だ。日沖との出会いによって重田は宝の山を掘り当てた。日沖は一九四二年三月、愛知県に生まれた。名古屋工大工科を卒業して、京都セラミック(現・京セラ)に入社。京セラでは工場長を務めた。八六年四月、京セラ創業者の稲盛和夫(現・名誉会長)の呼び掛けで設立されたDDIに移り、同年六月取締役に就任。常務、副社長を経て、九八年六月に社長に就任した。ところが一年後の九九年七月、突然、社長を辞任し、取締役相談役に退いた。退任理由としてDDIは「五月の連休明けの頃から自宅療養に入り、議長を務める予定の株主総会を欠席せざるを得ないほど体調を崩したこと」をあげたが、この社長交代劇はさまざまの憶測を呼んだ。「四月の記者会見で、トヨタ自動車系のIDO(日本移動通信)との合併に慎重な発言をしたことが、合併推進派の稲盛名誉会長の逆鱗に触れた」(京セラ元役員)という説がまことしやかに流布した。九九年十二月十六日、DDTI、KDD、IDOの三社が合併を発表した晴れの席に、もちろん日沖の姿はなかった。