「名義貸し」の架空契約疑惑

重田と日沖の関係に戻す。「光通信がDDIの代理店になった時の営業本部長が日沖だった。代理店の中でも光通信の営業成績が抜群だったことから、重田に目をかけるようになった」。日沖と重田の特別な関係は公然の秘密だった。そして、九九年、業界が仰天するような情報が流れた。「(三月に日沖DDI社長と重田光通信社長とが話し合った席で)一年間で百万台を売ることを条件に特別のインセンティブをつけることが決まった」(業界関係者)というのだ。

この会談の内容が洩れたのは、光通信の社員がふれ回ったからだ。商談を持ち込まれた代理店の話。「『今度DDIとの間で百万台売る契約がまとまった。インセンティブも多くつく。だからうちの傘下の代理店にならないか』と勧誘に回ってきた。『日沖社長とうちの重田の仲だから、可能になった話です』とも言ってました」。

DDTIと光通信が交わした台数インセンティブの金額は七万円とされる。定価三万五千円の端末をタダで売っても差し引き定価分がまるまる儲かる勘定だ。一方の当事者といわれている日沖は「台数に対するインセンティブはどの通信事業者もやっていることだ。しかし、百万台売ると幾ら払うといったようなインセンティブの約束を(重田と)したことはない。私の一存ではそうした話は決められない」と全面否定する。

百万台という販売目標と大幅なインセンティブの上乗せは、「数の論理と金の論理しか頭の中にない」重田には願ってもない好条件だった。だが、「契約が取れるまで帰ってくるな」がログセで、「病的といっていいほど仕事が好き」(創業当時の仲間の一人)の重田にしてみても百万台はとてっもない台数だ。九九年八月現在の携帯電話の累計加入台数は四千五百五十六万台だった。一年間で九百八十四万台増えている。百万台という数字は、光通信一社で全国の年間販売台数の一割強を売り切ることを意味する。

九九年、光通信は『HIT SHOP』をメディアーコンビニと位置付け、フランチャイズ方式で猛烈に全国展開し始めた。九八年八月末の店舗数は五百三十二店。それが一年後には千八百十六店と三・四倍に急増した。さらに、二〇〇〇年八月期には、千五百店の新規出店を予定していた(その後、業績が悪化した結果、出店数を大幅に下方修正したことについては後述する)。急激な店舗数の増加は百万台を売る手足を確保するためだった。

光通信フランチャイズ網を拡大して年間百万台の販売台数を達成し、特別インセンティブを得たのであれば、「頑張ってますね(苦笑)」で済む話だった。ところが九九年秋頃から、光通信にまつわる不穏な話か流れ出した。業界が指摘する光通信の「寝かせ」疑惑である。「寝かせ」とは業界用語で、普通の言葉に直すと「名義貸し」のこと。実際には使いもしないのに、名義だけ貸してもらって、契約したように見せかける架空契約のことである。代理店が販売台数のノルマを達成するために使う業界の悪弊といえる。