広がる入院患者の世界

微小な音もマイクロフォンで拾って送信される。北海道にいる医師の方は遠隔コントロール用の手袋をはめてメスやハサミを使うと、この動きのデータが通信回線で手術室のロボットに伝えられ、ロボットのアームが動くという仕組みだ。「名医」の側には手術を受ける患者を模した電子人形を置いて。ここにセンサーを配置して参考データを収集すればさらに正確なものになるかもしれない。もちろん、手術が始まる前には医師と患者は鮮明な画面を通じて人間的な会話を交わすので、患者のほうは医師が手術室にいるような雰囲気で手術を受けられるだろう。

こうした手術の実績が蓄積すると最後には、「名医」の判断力と技術をロボットが習得して、ロボットだけで手術ができるかもしれない。こんな手術を将来の「夢」と表現した記事があるが、どうも複雑な気持ちだ。なかなかお願いできない名医にかかって高度な手術を受けられるので、「夢」ということになるのだろうが。そこまでロボットを信頼できるようになるのだろうか。ロボ″トが暴走すれば「夢」はたちまち「悪夢」に変わる。患者の方は麻酔を打たれ、だれが手術しているかわからないにしても、わたしの目の黒いうちにこのシステムが完成しないことを切に願う。

長い間病院で生活しなければならない患者にもマルチメディアは効力をもたらす。東京・世田谷の国立小児病院では、長期入院の子供たちに、バーチャルーリアリティの技術を使って病院の外の世界を疑似体験させる仕組みを開発している。スキーのゴーグルのような道具を被り。ここにダイナミックな映像が表示される。映像と連動して動く椅子に座ると、遊園地のいろいろな乗り物に乗って遊んでいるような気持ちになる。学校の友達が遊んでいる映像を撮影しておいて、その中で自分が遊んでいる感覚を楽しむこともできるだろう。これは入院患者の退屈を紛らすシステムというだけではない。こうした刺激を与えることによって経験を豊かにし、活力を生み出し、治療効果も向上すると期待されているのである。

そこまで行かなくても、テレビ電話やテレビ会議システムが登場するだけでもかなり大きな効果がある。テレビ電話の仕組みを使って、教室で行われる授業を病室で受けられるかもしれない。ビデオに収めて都合のよい時に見てもよい。夜になれば複数の友達を呼び出して他愛ない雑談もできるだろう。テレビ電話で田舎にいるおじいちゃんやおばあちゃんとも頻繁に話ができる。病院にいる孤立感がやわらぎ、治療にもよい結果をもたらすだろう。もちろん、ビデオーオンーデマンドで教育用のプログラムが提供できるようになれば、入院生活による学力面でのハンデを小さくすることも期待できる。マルチメディアは入院による社会的ハンデを小さなものにしてくれる。その仕組みを提供できれば、それはビジネスとしても成功するだろう。

マルチメディア時代に新たに開かれるビジネスのキーは「インフォメーションーオン・デマンド」だが、インフォメーションーオンーデマンドの考え方やマルチメディアの技術の中身そのものをいじくり回しても、取り残してしまうアイデアがたくさんある。ではどんなアプローチでマルチメディアービジネスを考えればよいのか。マルチメディアという強力な道具を手にするのだから、ビジネスの機会はどんどん掘り当てられなければウソである。掘り当てられないとしたら、それは想像力の不足ではないか。

前節で見たように、レンタルビデオやニュースが見たいときにすぐに見られ、あの雑踏に出向かなくてもち。つとした買い物ができたら便利だろうな。という発想から、新しいビジネスが発生するのも確かだ。雑踏の中で買い物をするからストレスが解消するのだという、買い物マニアの強力な反論があるが、その人だってたまには自宅で買い物ができるならそれで済ましたい日もあるだろう。ましてや雑踏はまっぴら御免、ご勘弁を、という人口は相当に多いはずである。こうした「便利さ」というモノサシがニューマーケットを開くきっかけになるだろう。