三交替の勤務体制

これで三つの課題をクリアすることができました。四つ目の課題は、Pさんのプライベートな時間と空間を確保すること、奥さんとの時回を多くとれるようにすることでした。集中治療室から個室に移し、病院でもアットホームなふんいきをつくることに気を配りました。花をかざり、ねむの木学園の生徒たちのやさしい絵のあるカレンダーをさげ、TV好きのPさんの意思を大切にして、TVを置きました。野球や時代劇でPさんはどんなに苦痛をやわらげられたか、TVもクスリです。

さいごに、私たちが学んだことをご報告します。Pさんはほんとうによく病気とたたかわれました。必死で生きようとされました。そのPさんに向かって私たちは「ガンバつて」という言葉が、ムチになることを察し、その言葉を不用意に発しないように、ガンバって」というより、細心のケアを実際にすることが大切と、はげみました。Pさんは、そういうときいつも私たちに向かって、ほほ笑みました。そのほほ笑みが私たちのケアの子不ルギーになりました。Pさんにはげまされて私たちは看護したのです。

千二百七十日は終わりました。でも患者さんから学ぶ看護という姿勢を私たちは忘れないでしょう。Bさんのうしろにつき従って、循環器内科病棟での彼女のベッドサイドワークを逐一、見せてもらったことがある。勤務スケジュールのなかでも日勤に引き続いて深夜勤をするという日勤・深夜勤の日を選んで密着した。看護婦さんの勤務体制は……というと外来は日勤のみであるが、病棟は日勤のほかに当然、夜勤がおこなわれる。一日二十四時間を三つにわけている。Bさんの病院では一日勤というのは、午前八時半から午後三時まで。午後三時から夜の二時半までが準夜勤帯。午後十一時半から翌朝午前九時までが「深夜勤」帯になる。三交替の勤務体制なのだが、月に数回は日勤をしていったん家に戻り、その夜のうちにまた出勤して翌朝日勤のひとと交替するまで働くという日勤・深夜勤がまじる。

最近は、二交替制をとるところもボチボチ出はしめた。日勤帯を延長して午前八時半から午後七時までとし、準夜帯をなくして午後七時から翌朝九時まで勤務するというパターンが二交替制。ところによっては日勤、昼過ぎから拘束九時間ほどの中勤、午後八時半から出勤して拘束十三時間の夜勤という変則三交替をとるところもある。日本看護協会の調査(五〇〇床以下三〇〇病院、一九九五年)によると、七三%が三交替制、一九%が二交替制、七%が変則三交替だったという。準夜勤の日と日勤・深夜勤の日とあわせて夜勤を、看護婦さんは月に何回(日)くらいやっているのだろうか。三ツパチという言葉がある。二人の人員で月八回(日)以内。一九六五年に人事院が出したひとつの基準である。しかし現実にはこれになかなか近づけないでいる。

ナースウェーブ運動の効果もあって、夜勤回数がこの線に近づきつつある途上だが、実際にはこれを上まわって九回、十回というところが多いようだ。何といっても過酷なのは、日勤・深夜勤だ。準夜勤帯を除いて通算十六時間を病棟で過ごす。日勤帯はメンバーが多いから、まだラクな場面もあるが、相棒とたったふたり、何十人もの患者の夜のケアに臨むのは、考えただけでもおそろしい。午前八時半、Bさんのうしろに小さくなってナースステーションに入った。病棟のほぼ中央に置かれたナースステーション、まんなかに大きなテーブルがあって、そこを日勤の看護婦さんたちがかこんでいる。