浪花節が封建的

そう言えば、ブームを起こした、一杯のかけそば、というのもあった。NHKの朝の連続ドラマ。今やっているのもそうだが、「おしん」などというのは、浪花節的ドラマの傑作なのであろう。民放の「大岡越前」や「水戸黄門」などという長寿人気番組もそうである。「おしん」は、外国でも大受けだったというところから思うと、浪花節的なものが好まれるのは、日本だけではないのである。それは、浪花節的なものには、良いものかおるからであろう。

的のつく言葉で、戦後、問答無用で斬り捨てられたものが多々ある。封建的だの、差別的だの、非民主的だの。浪花節的はどうなのだろうか。やはり。斬り捨てられた側にあるのではないか。浪花節が廃れたのは、浪花節が封建的であり、非民主的だからだろうか。私には、浪花節には、伝統芸能となるだけの、時間も内容もなかったからだと思うが、それにしても、戦前、戦中のあの浪花節ブームが思い出され、当時のことを語り伝えなければならないのなら、あのブームのことも語らなければ半端になるのではないかな、と思う。

兵隊さんたちは、軍歌や歌謡曲ばかりを歌っていたのではない。テレビのない時代だったのに、スター浪曲師の名は全国に知れわたり、私のまわりの兵隊さんたちは、流行歌だけでなく、流行浪曲をうなっていたものだ。今の浪花節的戦争ドラマに、そういうシーンがリアルに出て来たためしはない。
                            
先週、この欄に、浪花節および浪花節的ということについての思いの一端を書いたか、ああいうものを書きながら私は、浪花節は確かに、めっきり衰微はしたが、どこかに保存に努めている人がいるかもしれないな、と思った。浪花節と同じように、一時は盛んであったが、今は衰微しているものに、詩吟がある。ところで、衰微といっても。消滅に近い衰微もあり、それほどまでは衰えていなくて、それが目立つ、という程度の衰微もある。それに私たちは、ともすれば視野が狭くなりがらで、思い込みで過不足のある判断をする。

先般九州へ取材旅行へ行った折。私は、土地の老人と追憶話をして、「浪花節も詩吟も、なくなりましたなあ」と言ったら、「いえ、いえ、この辺では、詩吟は今でも盛んですよ」と言われた。 旅に出ると、ひょいとそういうことを教えられるので、ありかたい。東京だけが日本ではない。まして青山だけが日本ではない。ついでに政治家の先生方にも、永田町や党だけが日本ではないぞ、と言いたいが、それはさておき、そんなわかりきったことが、とかく見えなくなりがちである。