開放政策の実施

中国が毛沢東の集権的社会主義の時代を終えて、訒小平の改革・開放の時代に入ったのは、いま指摘したように1978年末の第二期三中総の決定によってであった。これに及して訒小平はつぎのように発言している。

「党の第二期三中総は開放政策を決めると同時に、自由化の風潮をおさえることを要求しており、このふたつは相互に関連ある問題です。この風潮をおさえなければ、開放政策を実施することはできないのです。自由化の考え方はいまなお残っており、党外ばかりか、わが共産党の内部にも残っています。

4つの近代化を進め、開放政策を実施するには、ブルジョア自由化をふりまわしてはなりません。自由化の思潮がはびこれは、われわれの事業は衝撃と混乱をまねくことになりましょう。要するに、ひとつの目標は安定した政治環境をつくりだすことで、もしも安定した政治的環境がなければ、すべて問題にならないのです。国を治めるということ、これは大きな道理であり、それが多くの小さな道理を統括しているのです。

それらの小さな道理にもそれなりの道理はあるでしょうが、しかし、この大きな道理がなくてはどうにもならないのです。」(1985年5月5日「ブルジョア自由化とは資本主義の道を歩むことである」”現代中国の基本問題について”)また別のところでは、つぎのようにも発言している。「理想があっても、それを実現するには、さらに規律がなくてはならない。

規律と自由は、対立面の統一の関係にあり、両者は不可分であって、どちらが欠けてもいけない。わが国のような大きな国は、どのようにすれば団結でき、組織できるのか、ひとつには理想に依拠し、ふたつには規律に依拠することである。組織すれば、力が生まれる。理想がなく、規律がなくては、旧中国のようにばらばらの砂だ。」(1985年3月7日「一に理想、二に規律に依拠してこそ団結できる」