科学者とエピソード

偉大な業績をあげた科学者の中にも、エピソードに富んだ人と、比較的話題に乏しい人とがある。前者は事実か否かも定かでない話まで加えられて、その名声は高まる一方であるが、後者は専門家以外にその名もあまり知られないことになりがちである。近代物理学を例にすれば、相対性理論を提唱したアインシュタインは前者に屈し、量子論創始者プランクは後者に属する。

生物学者の中で、「エピソードの主」ともいえるのは、グレゴールーヨハンーメンデルであろう。近年の中学や高校の教科書では、本文以外にわく囲みで、ちょっとした科学史上のエピソードをのせ、生徒に勉強の息抜きを与えるのが流行のようになっている。何を入れるかは編者が苦心することの一つであるが、多くの場合、細胞の発見者のフックと、遺伝法則の発見者のメンデルにまつわる話は、まず「当確」になる。

特に、メンデルは、専門の学者でも大学教授でもなく、カトリックの一司祭であり、修道院の庭にエンドウをまいて遺伝の実験をしたこと、彼が発表した論文の重要性は彼の死後十六年たった一九〇〇年に再発見されるまで、世人の注目を浴びなかったことなど、話題に富んだ生涯を送っている。したがって、教科書に簡単に紹介されるだけでなく、メンデルの伝記を扱った本や、彼について論じた本は、内外で多く出版されている。おそらく、有名度で彼と匹敵できる生物学者は、ダーウィンパスツールなどごくわずかであろう。

著名人が、良きにつけ悪しきにつけ、俎上に載せられるのは世の常である。メンデルについても、あることないこといろいろいわれている。よく本に記してある「彼は、自分の発表した論文が注目されないまま、失意のうちにその生涯を閉じたLという記述なども、真実か否か、はっきりしない。なるほど、長年手がけた研究成果が世に認められなければ、失望することは確かであろう。しかし、彼の生涯を調べてみると、五十五歳で、ブリュンの修道院長となり、晩年はオーストリア議会が公布した宗教基金税に対する折衝に力を注いでいる。したがって、生涯の幕を下ろすころには、遺伝の法則よりも、修道院の経営の方により関心が深かったと考えることもできる。そのような詮索は科学史家に任せることにして、ここでは、メンデルについて、近年記された興味ある指摘をとりあげてみたい。

医科大学の生物学の教授で、科学史にも造詣が深い長野敬博士は、『生物学の旗手たち』という興味ある本(朝日選書)を書いておられる。『朝日ラルース動物百科』に連載された記事をまとめたもので、その中で生物学史上重要な業績(旗じるし)をあげた二十数人の人々がとりあげられている。メンデルもその一人であるが、著者がその項につけた題は、「無知が生んだ発想」である。