ヘボ碁打ちの思い

私は、学生時代も、軍隊でも、戦後月給取りになってからも、理想と現実の違いを巧く扱えず、不満であったので、そこから脱け出せなかった。そういう私か岸田國士先生にめぐり会っだのは、私にとっては、この上もないことであった。戦場は職場に過ぎない。職場にない、私にとって大事なものが、先生に接すると甦る。私は救われたような気持になり、先生との会話に没入した。先生の言葉で、今でも私か大事に思っているもののひとつに、ベストセラーについてのものがある。

「ベストセラーというのは、もちろん、作品としては、それはどのものでないものもあるが、だが、ベストセラーには、必ず、何か、いいものかおるね」先生のこの言葉は、二者択一的に是非良悪を考える考え方の貧しさを、私に教えてくれた。ベストセラーだけのことではない、何にだって、必ず、何かいいものがある、そういう考え方をしなければいけないのだ、ということを教えてくれた。  

他の分野でも言えることなのだろうが、天才でなければ、その分野でトップの座に居つづけることはできない。天才であれば、そこに安住できるものでもないが、努力は、努力自体に価値があるのであって、努力は自分のベストにはつながっても、才なき者のベストは、才ある者に及ばなし。

私は、何だってそういうものだと思っていて、アマチュアのゴルフコンペなどでは、運とハンディに恵まれて優勝したこともなくはないが、トップに立つとか、ゲームで優勝するとか、そういうことはまったく自分に期待することなく、生きて来た。そういう人間が、天才と秀才が鎬を削る天元戦について何か言っても、睡い話になるに違いないと、逡巡するが、しかし、自分はどうでも、トップ争いというのはいいものだ。

私の囲碁は、ゴルフにもまして、いわゆる下手の横好きに過ぎず、しかも碁友もいない。私は、仕事もまだ現役のつもりでいるが、七十九歳の私の同年配の友人たちは、まだ元気な者も、みんなとっくに定年を過ぎて、毎日が日曜日の余生を送っているのが多い。そういう、旧友に口常の様子を聞くと、毎日碁会所に通っていると言った者がいた。

そう言えば、碁会所というのもあるのだ。そういう友人と話していると、碁の好きな同業者を思い出す。現在活発に書いている人もおり、故人になられた方もいる。故人になられた方といえば、遠藤周作さんも晩年、遠藤さんらしく碁を楽しんだ。宇宙棋院と称する碁のグループを作って主宰して、遠藤さんは宇宙棋院の名誉名人とか、名背天元とかの免状を多分お手盛りで所持し、一時、磁石のついた携帯用の碁盤と葺石を持ち歩き、私も一度、不意に挑戦された。