石油価格の急上昇

一九七三年の第一次石油ショックは、「南」が「北」に与える痛撃として、想像しうるもっともラディカルな行動であった。原油価格の四倍値上げ直後、すべての人が深刻に憂慮したのは、世界中のカネがすべて産油国に集中し、消費国はふところがすっからかんになってしまって、国際経済は機能麻痔に陥ってしまうのではないかという点であった。

しかし現実には、産油国の経常収支黒字は、当初予想したほど大きくなく、当初予想したより急速に減少した。平たくいうと、産油国の手許には、当初予想したよりもはるかにわずかなカネしかたまらなかった。カネがなければ、産油国ぽどんどん石油を掘る。エネルギー危機といいながら、世界中の石油タンクが満杯になるという、一見不思議な状態さえあらわれた。つまり、第一次石油ショックから一九七八年末ごろまでの数年間は、世界経済は、当初予想したよりもはるかにうまくまわっていたのである。

いったいなぜ、それはどうまくいったのか。ふつう三つの理由が挙げられる。すなわち、出石油価格の急上昇は、世界中に石油節約の動きを引き起こした。石油価格の急上昇は、世界経済に長期の不況を招き、生産活動を停滞させて、石油消費の伸びを鈍らせた。他方では、産油国は途上国で、国内開発のプロジェクトは目白押しだから、輸入を急増させた。つまり、出師によって、産油国の輸出額は思ったほど仲びなかったのに対して、産油国にとってカネはいくらあっても足りないくらいであった。

しかし、指摘はきれいごとに過ぎよう。たとえば自分の土地に高速道路が通り、巨額の補償金が入っても、すぐにすってしまう人がある。これまで手にしたことのないカネが入っても、使い方の知恵がないのである。似たようなことは、国の単位でも起こるだろう。いくらカネがあっても、それを有効に使いうる知恵つまりソフトウェアがないかぎり、カネは空回りし、浪費されることが多い。その結果、産油国は巨額のカネをすってしまったのである。