国際協調による通貨安定

現実にいろいろな政策が行われたにもかかわらず、経常収支黒字が縮小しないのは、政策を中立化するメカニズムが存在することに注目しなければならない。為替レートの安定に一国の経済政策の対応では有効性が小さいが、関係国が協調して同一方向へ誘導する政策を行犬は有効性が高まることが示されてきた。プラザ合意はそれまでのド上局からドル安に転換するための国際協調として大きな成功を収めた。プラザ合意以降も各国、が協調して経済政策を行うことによって、為替レートの安定と経常収支不均衡の解決を図る動き、すなわち政策協調は一般的なものとなっている。

プラザ合意後の急速なドル安に対し、一九八六年一月にロンドンでG5が開かれ、為替レート安定のための国際協調について合意が形成された。続いて同年五月の東京サミットで経済政策協調を進めるため互いに各国の経済政策をチェックしあう「多角的サーベイランス」について合意された。さらに、G5にイタリア、カナダを加えたG7で国際経済の運営を行うこととされた。

しかしながら、このような国際協調が進展しても為替市場は安定せず、さらに強力な枠組みが求められた。そこで、翌年二月のパリで開かれたG5、G7(この時はイタリアは参加しなかった)では、為替レートの安定のために各国、がマクロ政策を協調的に行うルトフル合意、が形成された。

この時は、当時一ドル=一五五円程度であったドルについて、これ以上のドル安は世界経済にとってマイナスであるという認識の下で、為替レート安定のために協調行動をとるとともに、経常収支不均衡の改善のために黒字国の内需拡大、赤字国の不均衡縮小努力を求めるとトうマクロ経済政策の協調が合意された。しかし再びドル安となる。

その後、サミットでは通貨問題はつねに車要課題となり、G5、G7は頻繁に開かれる。このように、為替市場の安定のために財政金融政策は各国の蔵相・中央銀行総裁の間で困際的に緊密な連絡の下に行われ、新しい国際協調体制が確立することとなった。さらに、一九九一年のG7では湾岸戦争費用、復興問題なども討議され、広範囲な世界経済運営のための経済政策の協調の場として機能することになる。以降もこれらの会合は頻繁に開かれ、国際協調に関して常時機能する機関となる。