実学の思想

先に、新聞記者はフリーライターにせよと主張したが、大学教授も時間講師にして、一時間当たりいくら、という時給制にしたらどうか。カントやヘーゲルも元は学生からの聴講料だけに依存する私講師だった。そうすれば大学教授が政府の審議会やマスコミ稼業にうつつを抜かして休講ばかりするということもなくなる。なにより一時間いくらだから、教える方も聴く方も真剣になる。そのかわり一時間当たりの給料をうんと高くしなければ食っていけない。いま私立大学の多くは授業コマ数の半分以上を非常勤講師に依存しているが、非常勤講師の給料は毎週九〇分の授業をして月に二万円からせいぜい三万円足らずで、学生アルバイト並みだ。これでは生活していけないから非常勤講師は多くの大学をかけ持ちして走り回っている。

これでは教えている方も真剣になれるはずがないし、そんな講義を聞かされる学生こそいい迷惑だ。私は現在の非常勤講師の給料は日本の大学の恥だと思っている。これを改善するためには常勤の大学教授を非常勤講師にして、時間給にしたらどうか。そして大学、とくに大学院にはもっと社会人を入学させ、ゼミナールを主にした授業にすべきである。現実社会の経験のある社会人が大学や大学院のゼミで、ひとつの問題について交替で報告し、みなで討論する。そうすれば社会経験のない学生にもいい刺激になる。それにはゼミの指導教授自身が社会人経験のある人でなければならないことはいうまでもない。

私は龍谷大学中央大学だけでなく、大阪市立大学京都大学早稲田大学などの大学院で非常勤講師として教えたことがあるが、社会人が多い大学院ほど議論が活溌で、内容もよかった。会社を定年で辞めて、ボランタリー活動をしているような人が自分の経験をふまえて日本の会社のあり方について議論しているのを聴いて私もいい勉強になった。人口の高齢化とともにこのような中高年の人が大学院に行くという傾向が強まっているが、この人たちは就職のための学問でなく、純粋に研究をしようとしている。しかも現実の経験は豊富である。こういう人たちが一から勉強し直して自分の経験を理論化する。そしてそれを論文や本として出す。そういう人のなかから大学院の教授になる人が出てくれば、これに越したことはない。

一般的にいって判断力は経験によってついてくる。いくら経験しても判断力のない人間もいるが、しかし経験の積み重ねのなかから判断力は養われていく。したがって若者より老人の方が判断力がすぐれているのは当然だ。その老人力を活かすためには社会人大学院を拡充し、老人が学生になり、そして先生になることで判断力を若者に伝授していく。このような教育改革が必要なのではないか。私か大学、そして大学院で教えた経験からそういえる。冷戦体制が崩壊したあと社会主義の魅力が失われ、かつて唱えられていた体制変革論はどこへか消えてしまった。そこで起こっているのが思想の混迷状態である。若者はもはや思想に興味を持たなくなっており、老人は自信を失っている。

ベルリンの壁が崩壊したのは一九八九年十一月であった。その年の夏、私はパリでゴルバチョフソ連議長が大衆から歓呼の声で迎えられているのを見た。私はパリ郊外の大学都市に住んでいたのだが、六月に起こった天安門事件では、中国人の学者がテレビに映し出される天安門の場景を夜通し、食い入るように見ていたのを思い出す。まもなく天安門事件に抗議するビラを中国人学生が配っているのに出合わした。七月十四日、フランス革命二〇〇年祭を祝うパレードを見るためにシャンゼリゼ通りに出かけたが、ちょうどその時、パリで先進国首脳会議が開かれたためにきびしい警戒網がしかれ、いたる所歩行禁止にされていてとまどったことを覚えている。