自由な市場の機能維持

米国式経営文化は市場メカニズムへの強固な信仰の上にあるが、これは秩序を守り、調和を重んじる我々の伝統文化と対立する。忘れてはならないのは、市場メカニズムは効率的な資源の配分に不可欠であるが、ときに暴走することである。市場の健全な機能と社会の安定を両立させるのは容易なことではない。

時に暴走しても、自由な市場の機能を維持することこそ最善の選択だとする市場原理主義、その極端な現れはカネがすべての荒々しいウォール街文化であり、その象徴として常に話題になってきたのが、米国の投資銀行やへッジファンドの野放図なふるまいであった。

これらの機関で中心的役割を果たし、金融革新を進める金融エンジニアやトレーダー、ファンドーマネージャーたちの台頭が著しい。これからのグローバルな金融再編のなかで、その新しい文化と、保守的な我が国の銀行家たちの文化の対立も激化しよう。そして各種の異文化衝突の管理は、わが国の経営や行政に新しい挑戦課題をつきつけるだろう。

もとより、経済のグローバル化にともなう国境を越えた企業の買収合併や提携は、金融の分野に限った現象ではない。自動車にせよ、通信産業にせよ、クロス・ボーダーの合併や提携がいつも新聞の経済欄のにぎやかな話題になっている。しかし、「金融再編」という特別な言葉で語られるように、金融の分野には、経済のグローバル化といった説明では言いつくせない何かがあるようである。

法政大学の金子勝教授か指摘するように(一九九九)、日常の商取引は、顔見知りの企業や個人の間で互いに信頼を保ちながら行われている。これは「顔の見える市場」である。しかし経済取引が拡大し複雑になってくれば、売り方と買い方が互いに知らなくても、仲立ち人を介在させて売買が行われる取引所の取引、さらに近年は情報・通信技術の発達でコンピューターが媒介する「顔の見えない市場」が発達してきた。

これらが生産と消費を仲立ちする交換の時間リスク、取引コストの節約をもたらし、そこで自由に形成される価格は、経済の安定と効率性を高めるはずであった。これは新古典派経済学の描く市場のイメージに近いだろう。ここまではモノの世界もカネの世界も同じである。